ご紹介します♪和菓子の種類

水分量20%以下の和菓子を干菓子(ひがし)乾菓子(ひがし)、40%以上の和菓子を生菓子、その中間を半生菓子といいます。

饅頭

饅頭(まんじゅう)は、小麦粉などを練って作った皮で小豆餡などの具を包み、蒸した菓子のこと。

日本の饅頭の起源には2つの系統がるそうです。一つは1349年に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した林浄因と共に入ってきたと言われています。その際、禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭を用いる事を考えましたが、従来の饅頭は肉を使ってしまうので、代わりに小豆を使った饅頭が考案されたと言われています。その後、林は奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立て評判になりました。もう一つは、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われています。円爾は辻堂に臨済宗・承天寺を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われています。このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にあります。奈良に伝わった饅頭はふくらし粉を使う「薬饅頭」で、博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされています。

茶饅頭
小麦粉、黒砂糖、膨張剤を用いた生地で餡を包んだ饅頭。大島饅頭・温泉饅頭ともいわれます。利休饅頭、薄皮饅頭もこの一種です。

薯蕷饅頭
すりおろした薯蕷の粘りを利用して米粉を練り上げ、その生地で餡等を包んでしっとりと蒸し上げた饅頭のこと。上用饅頭とも言い、紅白饅頭や織部まんじゅうなどがこれにあたります。使われる薯蕷にはつくね芋、大和芋、伊勢芋などがあります。茶席で使われる主菓子のひとつです。奈良の林浄因が作ったという言い伝えから、その子孫のお店の名前をとって「塩瀬饅頭」とも呼ばれています。

酒饅頭
酒母を使って小麦粉の生地を発酵させ、中に餡を入れた饅頭のこと。虎屋饅頭とも呼ばれています。「酒饅頭」は長野市、新潟県長岡市ではあんまんのようなもので、福井県三国では形状は平たくなり焼き印を入れてあり、岐阜県大垣市のものは茶饅頭のようなもなど地域によって形状、味覚、製法が異なります。

焼饅頭
主にカステラ風の生地で餡を包んだ焼き菓子の一種のこと。唐饅頭、もみじ饅頭、栗饅頭、千鳥饅頭、乳菓などがこれにあたります。洋菓子や中華菓子の影響を受けて明治時代以降に発達したとされています。オーブンで焼く物や鉄板で焼く物などがあります。最近ではパイ皮やビスケット生地、スコーン生地を用いたより洋菓子に近い物もあるようです。また、長崎県の一口香や北海道のわかさいものように独特の製法の物もあります。

水饅頭
くず粉を用いて作った透明の生地で餡を包んだ夏季の生菓子です。水仙饅頭とも言われています。そのまま器に盛って食べたり、冷水に浸して食べたりします。「水饅頭」の名称では岐阜県大垣市のものなどが知られますが、全国的には「葛饅頭」の名称のほうが一般的です。

鹿の子

鹿の子は、和菓子の一種で、鹿の子餅とも呼ばれます。鹿の子は3から4層の構造になっています。まず餅、求肥、羊羹のうちどれかを芯として、そのまわりに餡をつけます。できた餡玉に鹿の子豆と呼ばれる形の整った豆の蜜漬けを外側に隙間なくつけて完成させます。最後につやを出すため寒天につけることもあるようです。

鹿の子豆に使われる豆は小豆や金時豆、うずら豆やうぐいす豆などがあります。鹿の子豆は硬めで形の整ったものであれば豆でなくてもよく、栗を使った栗鹿の子も一般的で、長野県小布施町などの名物となっています。また、白いんげんを鹿の子豆に使ったものは京鹿の子と呼ばれることがあります。小豆の場合は小倉野という名でも呼ばれています。

鹿の子という名の由来は、整った粒が隙間なく並ぶさまが鹿の背の斑点を思わせることからつけられました。鹿の子がはじめて作られたのは宝暦年間で、江戸の人形町にあったエビス屋という和菓子屋から売り出されましたが、この店は嵐音八という役者の実家で、役者手製の餅菓子として評判を呼び全国に広まったといいます。

わらびもち

わらびもちは、デンプンと水、砂糖から作る和菓子です。原料としてワラビの根から取れるデンプンであるわらび粉が使われたため、この名前となりました。一般的なわらびもちは、関東の葛餅によく似た製法で作られます。デンプン・水・砂糖を加熱しながら透明になるまでかき混ぜ、さらに流水に入れて冷やし固めます。きな粉や黒蜜をかけて食べるのが一般的です。透明で、見た目にも涼しげであるため、夏の菓子として重用されます。わらび粉はワラビの地下茎を叩きほぐして洗い出し、精製したデンプンですが、同様の方法でクズの肥大した根から得られるデンプンである葛粉以上に原料の採取や製造に手間がかかり、収率が悪いので、現在では製造者が非常に少なくなっています。そのため最近では、わらび粉の代わりにサツマイモやタピオカから取られたデンプン、または葛粉を材料にして製造したものがほとんどで、本物のわらび粉で作ったわらびもちは希少な高級品となっています。その他のデンプンのものは無色透明で涼しげなものですが、本来のわらび粉だけのものは茶色がかったものとなります。

醍醐天皇が好物としており太夫の位を授けたという言い伝えがあり、そこからわらび餅の異名を岡大夫とも言います。そのいわれが寛永19年(1642年)に書写された大蔵虎明能狂言集(大蔵虎明本)の「岡太夫」に古い言い伝えとして書かれています。 また同時に凶作に見舞われた農家の非常食でもあったという言い伝えもあるようです。

大福

大福は、小豆でできた餡を餅で包んだ和菓子の一種で、大福餅とも呼ばれています。餅はきめ細かくつかれているものを使います。餅に豆やヨモギを加えたものや、餡の代わりにイチゴやカスタードクリームを入れたものなどさまざまなバリエーションが存在します。 そのまま食べることが一般的ですが、好みによって焼いたり、汁粉に入れたりもします。大福餅は、腹持ちがよいことから腹太餅、大腹餅と呼ばれていたものが、吉字を使った大福餅に変化したそうです。

団子

今日では「だんご」という呼び名が広く定着していますが、地方によっては「だんす」、「あんぶ」、「おまる」など様々な呼称があるようです。古くは焼団子や団子汁の形で主食の代用品として食せられ、材料も粒食が出来ない砕米や屑米や粃、雑穀の場合は大麦・小麦・粟・キビ・ヒエ・ソバ・トウモロコシ・小豆・サツマイモ・栃の実などを挽割あるいは製粉したものを用いて団子を作っていました。最近でも地方によっては小麦粉や黍粉などで作った米以外の団子もあるようです。団子と餅の違いには、「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉を使うが、餅は餅米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」など様々な言われがありますが、粉から用いる餅料理の存在や、ハレの日の儀式に団子を用いる地方、団子と餅を同一呼称で用いたり団子を餅の一種扱いにしたりする地方もあり、両者を明確に区別するのは困難です。砂糖を加えて甘味をつけたものや、醤油で味付けして食べるために砂糖を加えないものもあります。また、小豆の餡や砂糖醤油餡、きな粉をつけたり、汁粉やみつまめに入れたりしても食べられています。

団子の由来については、諸説あるようです。通説によると、遣唐使が日本に持ち帰ったとされる8種の唐菓子の1つである団喜が由来とされています。一方で柳田国男は神饌の1つである粢を丸くしたものが団子の原型でありで「団子」の名称は後世になってから類似の唐菓子の名前が当てはめられたものに過ぎないとしています。「団子」の名称は平安時代に書かれた『新猿楽記』に登場したのが最古のもので、一方鎌倉時代後期に書かれた『厨事類記』に記された唐菓子の団喜の形態は今日の団子に近いようです。南北朝時代に書かれた『拾芥抄』には八種唐菓子として団喜に代わって「団子」が登場しています。また、ほぼ同時代の『沙石集』や『庭訓往来』にも「団子」の語が登場しています。室町時代になると、「団子」を「だんご」と読むようになり、竹の串に通したものが登場します。宇津ノ谷峠の十団子や京の御手洗団子が登場したのもこの時代と言われています。江戸時代になると、都市部や街道筋では甘味付きの団子が作られ、庶民の茶席や行楽の御供としても愛好されました。一方で農村部では主食の代用品や非常食として食べられるなど、その意味合いは異なるものがあったようです。